やっとのことで、a yohakのオフィシャルサイトがオープンしました。オープンといってもまだまだ中身はシンプルなものです。
ここにたどり着くまでに本当に時間がかかりました。コンセプト、メッセージ、ロゴ、ブランドの目的など目に見えない部分を考え続けてきたからです。
目に見える部分は少なくても、このページの奥には、私たちの試行錯誤の痕跡があると思っていただけると嬉しいです。
このページはもちろんこれで終わりではありません。ここから商品のページを追加し、media(このページのことです)を追加していきます。これから成長していくa yohakのオフィシャルサイトを楽しみにしていてください。
それから、もうひとつ、「a yohakな人」について進展がありました。
この記事について、先日、公開をしないでほしいという連絡をひとり目の方からいただきました。ひとり目の方との記事は、「問い」のあるとてもモヤモヤした良いものになっていたと思っていたのですが、残念ながらお蔵入りとなってしまいました。
しかし、それもある意味で仕方のないことかもしれません。
というのも、この「a yohakな人」の記事というものは、その人自身に、自分について語ってもらうところから、始まっています。そのため、この記事には断片的とは言え、その座談会であらわれた生身の姿が見えてきます。それは、とても生々しいものです。
その記事を公開できるかどうかは、おそらく完成してみないとわからないものでしょう。完成して、読んでみたときに、はじめて、これほどまでに生々しいものは出せないと思われても仕方のないものです。
今回の「a yohakな人」も、もしかしたらそう思われたのかもしれません。生々しい姿を出すのは将来のことを考えて良くないと。その判断を私たちはもちろん尊重します。その判断をしていただいたことに感謝しています。
というのも、私たちはこの連絡を受けて、改めて考えました。この記事の持つパワーというものを。
そして、今回のa yohakな人との座談会を記事にするということが、生やさしいものではないと改めて気づきました。毒にも薬にもならないような記事ではなく、ある意味で公開できないほど重要なものとなったとも考えられるからです。
もともと、私たちは、このa yohakを通じて、より深く人と出会いたいと考えていました。そして、それが出来すぎてしまったゆえの今回のお蔵入りだとも言えます。
だからこそ、私たちは今回のことに感謝しながら、このスタイルを継続していきたいと思います。いや、改めてその気持ちを強くすることができました。
もしかしたら、10人と出会いながらも8人にお蔵入りをお願いされるかもしれません。100人と出会ったにもかかわらず、note上には、30人くらいの記事しかないかもしれません。でも、その出会いこそが、本当に意味のあるものだと、私たちは考えます。
相変わらず、非合理な考え方をしていますが、当たり障りのない出会いを繰り返すくらいなら、本当に深い出会いを、深すぎる出会いをこれからも続けていく。それこそが、a yohakの価値です。
ということで、ひとり目の記事はお蔵入りとなってしまいましたが、ふたり目の記事の作成を急ぎつづ、代わりのひとり目の方との座談会を進めていく必要があります。
ウェブサイトが公開したと思ったら、また別の問いが浮かび上がってくる。なんとも、「問い」がコンセプトのブランドらしい日々です。
この「問い」の連続すらも楽しんでいきます。それでは来週もお楽しみに。
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