有名人になりたい、スポーツ選手になりたい、お金持ちになりたい。私たちは、いろいろな「何か」に憧れ、その何かを掴んだり、諦めたり、忘れたりしています。
今回の「a yohakな人」である岡村忠征さん(以下、岡村さん)もまた、中学生の頃から「何か」になりたいと思いながら、試行錯誤を繰り返してきました。そして今では、art & SCIENCE Inc. というブランディングデザイン会社の代表をされています。
そんな岡村さんを「a yohakな人」としてお迎えして、座談会を行いました。
a yohak(余白)それは問いを生む時間、考える時間。ぜひこの記事は、a yohakの美味しい和紅茶と一緒に楽しんで頂けたらと思います。
現実は非常に厳しくて
小学校・中学校時代の岡村さんを取り巻く状況は、あまり良いものではありませんでした。家庭環境の不安定など、いろいろな要因が重なり改善されない状況。そんな中、岡村さんは、根源的な「問い」を持つようになります。
"人はなぜ生きるのかな、なんで生きなきゃいけないんだろう、みたいなことを小(学校)中(学校)から考えてました"
直感的に、映画や芸術、小説が好きだと感じていた岡村さんは、この厳しい現実の向こうにある芸術の世界、そういったものを通して、自分が生きる理由、つまり、何かになる自分を想像していたのかもしれません。
居場所ってどこにあるんだろう
そんな問いを持ち続けていた岡村さんが、高校に進学する時でした。15歳から16歳へのステップアップ。それはたった1年ながら、とても大きな一歩になることがあります。
この境界線を乗り越えるとき、岡村さんは、それまでの交友関係から少しだけ離れる決断をします。
それは、何かになるためだったのか、現実の厳しさを感じたからなのか、居場所を探すきっかけだったのか。理由は様々かもしれません。
"(仲の良かった友達の中で)まともに高校に進学した人は、僕ぐらいでした。だから、どこに行ってもちょっと居心地悪いと感じてて"
この居心地の悪さというか、どことなく感じてしまう、ここじゃない感覚。その感覚が、岡村さんのコンプレックス・後ろめたさになっていったようです
"(友達や家族への)コンプレックスっていうか、後ろめたさみたいなものが、僕は強くあるタイプで。そういうのが嫌になったっていうのかな。そういうところから、違うところに行きたい、離れたいと思ったんです"
違うところに行きたい、ここじゃない場所に行きたい。その思いの先に、私たちはどこに行くのでしょう。そして、離れたさきで、私たちは何になるのでしょうか。
何かになりたかった、あの時
岡村さんが離れようと思った町は、大企業の下請け工場が立ち並び、一般道にはフォークリフトが走る。そんな地方の工場町でした。
中学時代の岡村さんは、学校が好きで、生徒会長も務めるような学生でした。その一方で、仲のいい友達はドロップアウトし、家族は崩壊しかけていく。
優等生として自信に満ちた自分と、不幸と後ろめたさに満たされた自分。珍しい2面性を抱えながら、岡村さんは中学時代を過ごしていました。
しかし、その頃に、岡村さんが感じていたこと。
"僕はやっぱり、何かになりたいと思ってました"
何かになりたい。思春期に誰もが一度は抱く、自分の人生を大切に生きるための一歩目の感情。
ここじゃ無い感覚を抱きながら、居場所を探し、何かになりたいと試行錯誤を繰り返す。岡村さんはそんな学生時代を過ごしていました。
あなたも何かになりたかったあの頃を思い出しながら、ぜひ、a yohakの和紅茶と一緒に、ゆっくりじっくり考えてみてください。
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