もしかしたら、人は誰しも「問い」を持っているのかもしれません。その人自身のテーマであったり、目的であったり、生きる意味であったり。いろんな言い方ができるかもしれませんが、人それぞれに「問い」がある。
今回の「a yohakな人」の秋葉陽児さん(以下、陽児さん)もまた、a yohakの運営会社である株式会社SUGOIの代表として、クリエイターとして、ずっといろんな「問い」を考え続けてきたといいます。
その考え続けている「問い」はなんなのかを質問したところ、1つの「問い」を考えている気がする、と。
“ずっと同じこと考えてると思うんだけど、なんだろう。それがなんなのか言語化できないかもしれない”
目の前に現れる「問い」について、いつも考えている。その「問い」は、もちろん、いつも異なるものだけど、「問い」を改めて俯瞰的に見てみると、また違った見方ができるのかもしれない。
a yohak(余白)それは問いを生む時間、考える時間。自分の中にある1つの「問い」を探してみてください。今回もぜひ、a yohakの和紅茶を楽しみながら。
歩きながら、話をしようよ
歩くこと、散歩することが、昔から好きという陽児さんは、歩きながらいろいろなことを考えていたようです。
“特に、何があるわけでもない場所を歩くのがすごい好きで。ちょっと自然のあるところの横を通ってね、話をしようって言ったり。SUGOIのみんなに対して今でもよく、歩きながら話をしようと言ったりするね。それはもうずっと好きなのよ、昔から”
ひとりで歩きながら考えるのも好きなら、誰かと歩きながら話をして考え、問い続けるのも好きだという陽児さん。
若い頃は、徒歩や自転車で移動しながら、車を手に入れてからは、運転しながら。手段は変わっても、やっていることは変わらないようです。
それは、とにかく動くことによって、考えも動かしたいという発想のようです。
“ほぼ毎日歩いていたね。桜並木の横をずっと。多分話をしたいから、考えを動かしたいから、歩くって感じ”
答えを出しても、また考える
陽児さんは、移動しながらなにを話しているのか。それは企画のアイデアを考える時もあれば、いま抱えている悩みと向き合う時もあるのかもしれません。
ただ、どんなときでも、話しをすること、考えることのゴールは、結論にたどり着くことだそうです。徒歩で、自転車で、車で、陽児さんは結論へと向かっていきます。
“話す時は、いつもちゃんと結論を迎えたくて話している。話した結果、今日はこれでいいなと思ったけど、明日はそう思えないかもしれない”
結論にたどり着いたように見えたその翌日、陽児さんは、自分がまだたどりついていないことに気づく。そんなことも、よくあると言います。
それは、嘘をつくとか、ブレるとかではなくて、考え続けたことで1つの答えにたどり着いた。けれども、さらにその先に、違う答えがあって、またその答えの先にも、また違う答えがあるかもしれない。そんな考えのようです。
“いつも結論を迎える気持ちでいるけど、答えって変わっていくものだよね”
答えはゴールではなく、常に変わるもの。そう考えている陽児さんにとって、答えとは、終着点ではなく通過点のようです。
どうやったらより良く生きれるだろう
いろんなことを常に考えているという陽児さん。その考えていることを、俯瞰してみたら、どんな問いがあらわれるのでしょうか。
自分自身が考えていることをクローズアップではなく、離れてみてみる。幼い頃から今までずっと考えている問いを、見つめ直してみる。
“俯瞰で見たら同じこと考えてるかもしれないんだけど、一個一個クローズアップすると、違うことを考えてるよ。でも、なんだろうね。俺が考えてることってね”
自分が考えていることを俯瞰で見てみると、ずっと同じことを考えてきたかもしれない、と。
“いま、直感的に、俯瞰で見ると、同じこと考えてると思ったんだけど”
言葉に詰まりながらも、陽児さんはこう続けました。
“なんだろうね。考えていることを言葉にしてみるなら。なんだろう。どうやったらより良く生きれるか。それを常に考えてる気もする”
歩きながら、自転車に乗りながら、車を運転しながら、人と話をしながら、考え続け、問い続けているもの。
どうやったらより良く生きられるか。それは、相手や時代に合わせてとか、要領良くとか、そういうことではないようです。
“もっと要領良く生きられるといいよね。でも、それできないから、どうしたらいいんだろうって考えてる”
うまく生きるではなく、よく生きる。陽児さんは、それを可能にする方法を探し続けている、問い続けているのかもしれません。
あなたにも、きっと考え続けたい「問い」があるはずです。その「問い」がなんなのか、ぜひa yohakの和紅茶と一緒に考えてみてください。