自分というものは、誰よりも身近な存在であるはずなのに、あまりにも近すぎるので、よくわからなくなってしまうことがあります。灯台下暗しとはよく言ったものです。
今回の「a yohakな人」であるジョニーさん(本名:増谷孝典さん)は、小さいころから自分への漠然としたイメージはありつつも、確信を得るのに時間がかかってしまったようです。その確信を得てから、いろいろと経験されて、現在ではペインター/アーティストとして活躍されています。
そんなジョニーさんを「a yohakな人」としてお迎えして、座談会を行いました。
a yohak(余白)それは問いを生む時間、考える時間。ぜひこの記事は、a yohakの美味しい和紅茶と一緒に楽しんで頂けたらと思います。
レールに乗りたくなくて
ジョニーさんが自分というものをおぼろげながら感じ始めたのは、ご両親や周りの人からの目線がきっかけでした。
というのも、ジョニーさんの実家は会社を経営されており、長男であるジョニーさんは、将来は社長さんだね、と周囲から言われていたそうです。
"僕はやっぱりそのちっちゃい頃から、「大人になったら社長さんだね」って言われて育って、それがすごく嫌で反発して、(東京に)出てきちゃったのがあるんですよね"
大人になった今考えてみると、そのような環境がどれだけ恵まれていたことか、感謝すべきことかを実感しているらしいのですが、当時は、そのレールに乗ることがどうしても納得できなかったそうです。
"その、もう、完全に、この社長へのレールが引かれているのが、嫌だったんです。俺はこんなところにいるはずじゃないって思ってました"
もしかしたら、まだ自分というものがはっきりとする前に、周りの人から「社長」という形に整えられることに対して、ジョニーさんは反発をしていたのかもしれません。
自分に向き合う時間
家業を継ぐことをどうしても受け入れられなかったジョニーさんは、大学で地元を離れました。
そして、結果的には、この親元を離れたことによって、ジョニーさんは、自分と真剣に向き合うことができるようになったのでした。
"(集団行動に対して)なんとなく違和感は感じていたけれど、はっきりとなんか、これ違うって思ったのは、その大学くらいですね。それまでは、あまり疑問を持たなかったですね"
今まで、漠然と感じていた違和感に対して、向き合うことができたのは、大学入学以降だったといいます。そして、それができた理由は、1人の時間が生まれたからでした。
親との距離が生まれ、地元との距離が生まれ、1人の時間が生まれたことで、はじめてじっくりと考えることができたそうです。
"その親元から離れて一人になって、自分の考え方、自分がどういう人なのかってのを、ちゃんと見直す機会ができてからですね"
この1人の時間を過ごすことによって、少しずつ自分の想いを、夢を、道のりを信じられるようになっていきました。
"そこでまだ迷いながらですけど、多分、自分を信じる力を蓄えていったんじゃないかな。その遥か先に、夢があって、そこに向かうことによって、自分のことを信じようってなったんです"
何をやっても変わらない自分
そこからジョニーさんはロンドンの大学に編入し、帰国後は、料理人として働き始め、並行して音楽活動を行い、さらにその後に、絵を描き始めます。
料理と音楽と絵画。あまりにも違うフォーマットでの表現を、移り変わってきたジョニーさんですが、そこには、全部「自分」というものが存在するといいます。
"結果的に表現を変えたっていうことだけだと思う。やってること、言ってることは、一貫してずっと変わってないです。音楽やっている時も、料理作ってる時も変わってないです。ずっと同じような気持ちでした。そういうのを「人となり」っていうんでしょうね"
たとえ、手法が変わったとしても、ジョニーさんの中で何かが大きく揺らぐことはありませんでした。つくるのが好きという、その純粋な感覚をずっと形にしてきた。それだけなのかもしれません。
ジョニーさんは、親からの影響、自分に向き合う時間、そして、創作活動を通じて、自分というものを少しずつ見つけていきました。
あなたは、自分という存在をいつ、どうやって発見しましたか?ぜひ、a yohakの和紅茶を楽しみながら考えてみてください。
撮影協力:ゴンアルブル