人は、持っている余白の大きさや形、固さ、色がそれぞれ異なっているような気がします。大きい余白を持っている人もいれば、小さい余白をたくさん持っているような人もいるように、それぞれの余白というものは、違うのかもしれません。
今回の「a yohakな人」であるジョニーさん(本名:増谷孝典さん)は、ふわりと軽やかな余白(a yohak)を感じさせてくれる人です。普段はペインター/アーティストとして活躍されていて、余白のある素敵な絵を描く方です。
そんなジョニーさんを「a yohakな人」としてお迎えして、座談会を行いました。
a yohak(余白)それは問いを生む時間、考える時間。ぜひこの記事は、a yohakの美味しい和紅茶と一緒に楽しんで頂けたらと思います。
会話にも、絵にも、余白を
ジョニーさんが「a yohak」というブランド名を聞いたときに、感じたことについて、こんなふうに話をしてくれました。
"何か会話をする時に僕がいつも心がけていることは、「これこう思うけど、どう思う?」って聞かれたら、「自分はこう思う、でもそうじゃないかもしれないけど、きっとそうかもね」っていうその余白を作るんですよ"
相手へ余白を残し、断定や強制をしないという姿勢は、絵の表現にも共通しているといいます。
"自分はふわっとあって、ここに、これは春かな秋かなって考えられる余白があることが、気持ちいいなと思っています"
全てを説明し切るのではなく、解釈の余地を残す。あとは見てくれる人に委ねる。そんな表現を大切にしているそうです。これがジョニーさんが会話や表現の時に、大切にしている余白(a yohak)です。
思いつきの尊さ
会話や表現だけでなく、何かを決定するときや、考えるときも、はっきりとしたものよりも、軽やかでゆるやかなものをジョニーさんは信頼しているように感じました。
"いいかもって思ったら多分それいいんですよ。その後につく、「でも」っていう考えは、なんか面倒くさいって思いに付随しているだけなんですよ。そこで足が止まっちゃうだけで。結局、思いつきほど尊いものはない気がします"
もちろん、じっくりと考えること、時間をかけて判断することも大切だとは思いますが、それと同じくらい、もしかしたら、それ以上に、ジョニーさんは「思いつき」を尊いと考えています。
そこには明確な根拠はないかもしれませんが、まさに、「いいかもって思ったら、いいんですよ」という信念なのだと思います。
少しずつ鍛えてきた感覚
ジョニーさんとお話をしていると、人の話を優しく受け取り、強制することなく、軽やかに生きている人なんだということを実感させてくれます。
そして、油断すると、それはジョニーさんの天性の才能なんじゃないかとも思ってしまうほどです。
しかし、ジョニーさんにももちろん、いろいろなネガティブな感情は付きまとっていました。そして、もしかしたら、今でも。
それでもジョニーさんが軽やかにいられる理由、それは、ジョニーさんがずっと1人で生き続けることに挑戦してきたからかもしれません。幼い頃から、少しずつ自分として生きることを考え続けてきたからこそ、鍛えられた「思考のタフさ」のようなものがあるようです。
"自分の感情の消化機能ってあると思うんです。感情の消化機能。それがあるから、多分、誰かとつるむこともなかったし、なんかそれって大切な機能だと思いますね"
この消化機能を、ジョニーさんはずっと鍛え続けていたと教えてくれました。
"きっと、それ(感情の消化機能)があるから、自分がやっていけるんだと思います。それを、小さい頃から鍛えていたんだと思います。それが今ようやくこうやって、笑って話せるようになってるんですかね"
感情の消化機能をしっかりと自分で持っていることによって、人に寄りかからずに生きていくことができるようになったのだそうです。
そのおかげで、思いつきを楽しむことができ、絵や表現、会話の中の余白を大切にすることができているのかもしれません。
人それぞれ、大切にしている「余白」はきっと違うものだと思います。1人でじっくりと考える余白、好きなことに没頭する余白、大切なひとと分かち合う余白。
あなたにとって、余白はどんなものですか?ぜひ、a yohakの和紅茶を飲みながら、考えてみてください。
撮影協力:ゴンアルブル